多才な演技力で知られる女優の渡辺えりさん。
そんな渡辺えりさんですが、母親の認知症介護体験を舞台化したのでしょうか。
介護施設を舞台にした作品とは一体どのようなものなのでしょうか。
母親の認知症をテーマにした理由は何なのでしょうか。
今回は、渡辺えりさんの新作舞台について詳しく見ていきましょう。
渡辺えりの舞台「鯨よ!私の手に乗れ」とは

渡辺えりさんの新作舞台「鯨よ!私の手に乗れ」とはどのような内容なのでしょうか。
この舞台は、渡辺えりさん自身の母親の認知症介護体験を基に創作された戯曲です。
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舞台「鯨よ!私の手に乗れ」は、介護施設に入所した認知症の母親を見舞う娘の物語です。
渡辺えりさん自身の実体験が色濃く反映されており、介護施設での出来事や、母親との思い出が描かれています。
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舞台の主人公である神林絵夢は、古希を迎えた渡辺えりさんの分身として描かれています。
神林絵夢が、認知症の母・生子が入所する介護施設を訪れるところから物語が始まります。
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興味深いのは、施設の入所者たちが実は40年前に解散した劇団のメンバーだという設定です。
彼らは、かつて上演できなかった作品を再び演じようとする展開になっています。
この設定には、渡辺えりさんの演劇に対する思いが込められているのでしょう。
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渡辺えりさんは、この作品について次のように語っています。
「戦中・戦後の大変な時代を生き抜き、私たちを育て上げてきた親世代が、苦労した分、最後くらい自分らしく自由に生きられる世の中でなければおかしい。この強い思いが戯曲『鯨よ!私の手に乗れ』を書いた原動力でした。」
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渡辺えりさんの実体験に基づいた台詞も多く盛り込まれています。
「母を人間扱いしてください」「万が一の心配より、今を楽しく生きているかどうかでしょう?」などの台詞は、実際に渡辺えりさんが介護施設で発した言葉だそうです。
この舞台を通じて、渡辺えりさんは介護の現状や高齢化社会の課題に真正面から向き合っています。
同時に、一人一人が親をどう愛するかを考え、国のリーダーには介護政策に本気で取り組んでほしいというメッセージも込められています。

渡辺えりの母親の認知症介護体験

渡辺えりさんの母親の認知症介護体験とはどのようなものだったのでしょうか。
渡辺えりさんの母親は78歳で認知症を発症し、16年間の闘病生活を送りました。
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渡辺えりさんは、山形の両親を遠距離介護で支え続けました。
月に一度は必ず山形へ面会に行き、母親の様子を確認していたそうです。
②
最初の介護施設での母親の待遇に、渡辺えりさんは強い憤りを感じたといいます。
髪を短く切られ、プラスチックのコップでお茶を飲まされ、娘の公演ポスターは剥がされるなど、画一的な待遇を受けていたのです。
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渡辺えりさんは、この状況に対して直接介護士に抗議し、大喧嘩になったこともあったそうです。
「母の今までの人生は何だったんだ」と強く感じたと語っています。
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しかし、渡辺えりさんの抗議により、母親はより家庭的な小規模施設に移ることができました。
そこでは、温かい待遇を受けて暮らすことができたそうです。
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特に印象的なエピソードとして、コロナ禍での面会制限中のできごとがあります。
渡辺えりさんが母親に「えりさん、私のこと覚えてる?」と尋ねたところ、母親が「365日!」と答えて号泣したそうです。
渡辺えりさんは、この経験を通じて、介護の現状や高齢化社会の課題に向き合うことの重要性を強く感じたのでしょう。
そして、その思いを舞台「鯨よ!私の手に乗れ」に込めたのです。
渡辺えりの演劇に対する思い

渡辺えりさんの演劇に対する思いとはどのようなものなのでしょうか。
渡辺えりさんにとって、演劇は単なる職業以上の意味を持っているようです。
実は、渡辺えりさんは幼少期から「タナトフォビア(死恐怖症)」という珍しい精神疾患を患っていました。
死そのものや死に関連するものに対する異常な恐怖を感じる疾患です。
この死への恐怖から逃れる手段として、渡辺えりさんは演劇を始めたそうです。
「そのときだけは、死を忘れることができて」「演劇に没頭することでその恐怖を忘れ、一時的にでも解放される時間を持てた」と語っています。
渡辺えりさんにとって演劇は:
死への恐怖から逃れる手段
一時的な解放を得られる時間
人生の苦しさや辛さを乗り越える力
生きる勇気を与えるアート
という意味を持っているのです。
渡辺えりさんは演劇について次のように語っています:
「私は今までの人生で遭遇してきたつらさや苦しさを、劇を作り、演じることで乗り越えてきました。
見に来た人にも同じように、生きる勇気を与えられる作品を生み出したい。
家族とも恋人とも分かち合えない、どうしようもない孤独を癒やせるのが演劇、映画、音楽、美術などのアートだと思うんです。
人は死んでもアートは残る」
この言葉からも、渡辺えりさんにとって演劇がいかに重要な存在であるかがわかります。
母親を亡くした後、渡辺えりさんは自身の演劇活動について方向転換を考えているそうです。
両親が喜んでくれるわかりやすい商業演劇の意味を見出せなくなり、「これからは私が本当に伝えたいコアな部分を色濃く表現できる小劇場中心でやっていこうか」と考えているとのことです。
2025年1月には古稀記念として「鯨よ!私の手に乗れ」と「りぼん」の2作連続公演を東京・本多劇場で上演予定だそうです。
渡辺えりさんの人生は、死への恐怖という深い苦悩を演劇という表現活動で昇華し、さらに母親の介護体験を通して高齢化社会の課題に真正面から向き合った、まさに「人生と演劇が一体となった」歩みと言えるでしょう。
まとめ
渡辺えりさんの新作舞台「鯨よ!私の手に乗れ」は、自身の母親の認知症介護体験を基に創作された作品でした。
渡辺えりさんの母親は78歳で認知症を発症し、16年間の闘病生活を送りました。
渡辺えりさんにとって演劇は、死への恐怖から逃れる手段であり、人生の苦しさや辛さを乗り越える力となっていました。
これからも渡辺えりさんのご活躍を応援していきましょう。
それではありがとうございました。







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