演歌歌手として活躍する山川豊さん。
そんな山川豊さんですが、がんと離婚という大きな出来事を経験されたようです。
山川豊さんは本当にがんなのでしょうか?
また、離婚の真相はどうなのでしょうか?
兄へのお葬式の電話とは一体どういうことなのでしょうか?
山川豊のがん公表と現在の状況

山川豊さんは本当にがんなのでしょうか?
がんの進行状況や治療法はどうなっているのでしょうか?
山川豊さんは2024年1月10日、ステージ4の肺がんであることを公表しました。
2023年10月頃の血液検査で異常が見つかり、12月の精密検査でがんが確認されたとのことです。
①
手術は適用できないステージ4であるため、抗がん剤治療を選択。
特に「タグリッソ(分子標的治療薬)」を用いており、遺伝子レベルで腫瘍を分析して薬を選ぶ治療をしているという発言。
医師から「がんとは共存していくしかない」と言われ、完全な根治よりも“コントロール”を意識しているという言葉。
②
抗がん剤治療からくる副作用がかなり強く、発疹・口内炎・下痢・痛み(お尻・手足など)などの症状が出る。
水を飲むのも辛いほどの口内炎なども。
味覚の変化、唾液のしょっぱさを感じる、爪の下の肉が盛り上がって触れると痛い、など。
③
「歌えるのなら、ずっと歌いたい」という気持ちを強く持っている。
新曲「兄貴」を出し、兄弟デュエット曲も制作・披露、「病気なんかに負けてられない」というメッセージを込めてステージに立つことを目指している。
病気発覚後も比較的早く舞台復帰し、ライブ・ディナーショーなど活動を続けている。
④
弱さ・恐怖を感じたことを率直に語っている。
「一人みたいな感覚」「誰もいなくなっちゃうような夢を見る」「夜眠れない」などの体験。
当初の2カ月は精神的に落ち込む時間が長く、なかなか前向きになれなかったという。
ただし、「仲良くする・共存するように病気と付き合う」「笑いを取り入れる」「重くならずに前を向く」など、心の持ち方を模索している発言も多い。
⑤
朝は白湯を飲み、バナナ・豆乳・抗がん剤をとる。
昼はしっかり食べ、夜には元妻特製スープを飲む。
家事・掃除・洗濯は最初は自分でやっていたが、子どもたちが手伝ってくれるように。
息子が薬を塗るなどケアをしてくれたり、献立を考えてくれたりという協力。
⑥
自分の闘病を公表したのは、「がん患者・闘病者・家族にとって励みになるなら」との思いから。
同じがん経験者との情報交換 (“がん友” として) にも言及している。
「自分だけが大変なわけじゃない」と思うようになったという言葉。
「3年このままの感じで歌えれば最高」など、具体的な希望を語っている。
山川さんは「体調は万全とは言えない」としながらも、「歌える状態まで回復した」と前向きな姿勢を見せています。定期的な検査や通院を続けながら、少しずつ活動を再開しているそうです。
「歌える限り歌いたい」という強い思いが、山川さんの闘病生活を支えているようです。
山川豊の離婚の真相

山川豊さんは本当に離婚したのでしょうか?
離婚の理由や経緯はどのようなものだったのでしょうか?
山川豊さんは2022年8月に、30年連れ添った妻と離婚していたことが報じられました。
所属事務所も離婚を認めており、「円満な形で」離婚したと発表しています。
離婚の理由について、山川さん本人のコメントや報道から以下のようなことが読み取れます:
1. 仕事優先の生活:山川さんは「仕事、仕事で家に帰ることはほとんどなかった」と振り返っています。
長時間の仕事や旅、公演などが多く、家庭との両立が難しかったようです。
2. 夫婦の時間の不足:「少しでも女房とどこかへ出かけたりとか、そういう夫婦らしいことができなかった」と後悔の念を語っています。
3. 子育ての終了:「もう子供たちも大きくなったし、お互い好きなことをやってっていうことで離婚させてもらった」と説明しています。子育ての負担が一段落したタイミングでの決断だったようです。
4. 円満な別れ:対立や不和の報道はなく、むしろ離婚後も良好な関係を保っているようです。
がん公表後も元妻が病院に駆けつけたり、スープを作ってくれたりと、サポートを続けているとの報道もあります。
このように、山川さんの離婚は長年の仕事中心の生活や夫婦の時間の不足が要因となり、子育てが一段落したタイミングで円満に決断されたものだったようです。
山川豊の兄への電話とお葬式の話

山川豊さんは兄に何を伝えたのでしょうか?
お葬式の話とはどのような内容だったのでしょうか?
山川豊さんは、がんの診断を受けた直後、実兄で歌手の鳥羽一郎さんに電話をかけました。
その際、「お葬式はこうしてくれ」と伝えたそうです。
①
これは、がんの診断を受けて動揺し、最悪の事態を想定してしまった山川さんの心境を表しています。
ステージ4という進行した状態で発見されたがんに対する不安や恐怖が、このような言葉となって表れたのでしょう。
②
しかし、この電話に対する兄・鳥羽一郎さんの反応が、山川さんの闘病への姿勢を大きく変えることになりました。
鳥羽一郎さんは「馬鹿野郎。とにかく治せ」と強く叱咤激励したのです。
山川さんは、この兄の一言が「効いた」と語っています。
つまり、兄の励ましが山川さんの闘病への覚悟を決めるきっかけとなったのです。
③
この電話以降、鳥羽一郎さんは山川さんの強い支えとなっています。
兄弟でデュエット曲を出したり、「病気なんかに負けてられない」と励ましの言葉をかけたりと、精神的なサポートを続けているそうです。
④
また、兄の家に食事に行く機会が増えたなど、兄弟の交流が以前よりも密になっているという報道もあります。
このエピソードは、がん診断直後の山川さんの弱さと不安、そしてそれを乗り越えていく過程での家族の支えの重要性を象徴的に表しています。
「お葬式の話」から始まった兄との会話が、結果的に山川さんの闘病への強い意志を引き出すきっかけとなったのです。
まとめ
山川豊さんは2024年1月にステージ4の肺がんを公表し、現在も闘病中です。
2022年8月に30年連れ添った妻と円満離婚していました。
がん診断直後、兄の鳥羽一郎さんに「お葬式はこうしてくれ」と電話しましたが、兄の励ましで闘病への覚悟を決めました。
これからも山川豊さんのご活躍を応援していきましょう。
それではありがとうございました。
コメント